株式会社Atomis代表取締役CEO浅利 大介氏
PCP社会実装に向けた取り組みを紹介する本連載。後編では、産業ガスの高効率貯蔵でエネルギーインフラ改革を目指すPCPの最新事例に注目します。キュビタンは、京都大学発スタートアップAtomisで開発された「Cubic Tank」の略であり、ガスボンベの概念を大きく覆すことが期待されるキューブ型のガス容器です。後編では、Atomis代表取締役浅利氏に、キュビタン概要やPCP社会実装に向けて製品だけでなくビジネスモデル開発も行う同社取り組みについてお伺いします。
京都大学の北川進特別教授による、さまざまな産業にイノベーションをもたらす可能性のある世紀の大発明、PCP。しかし残念ながらその実用化への取り組みを主体的に進める日本企業はなく、一方で世界各国のスタートアップなどが研究開発を進めており、日本発の技術がまたしても海外に流出しようとしていました。それを危惧した北川教授の門下生たちが立ち上がり、日本が中心となって社会実装を進めるべく、京都大学発のスタートアップ企業として株式会社Atomisを設立しました。同社は研究開発の結果、新たな合成方法により量産化技術を確立。PCPの本格的な実用化に先鞭をつけました。そして現在、PCPを応用した新たな発明により、社会に大きな変革をもたらそうとしています。
「スタートアップの醍醐味は、大企業が手をつけない事業、あるいは見過ごしている事業に切り込めることにあると思っています。私たちがそうした事業をリサーチした結果、浮かび上がってきたのが産業ガス分野でした」とAtomis代表取締役CEOの浅利大介(あさり・だいすけ)氏は言います。酸素、水素、窒素、二酸化炭素など、さまざまな産業ガスが、工場や病院、飲食店などで利用されていますが、その供給方法は長年変わっていません。主要ガスメーカー4社が製造した産業ガスをタンクローリーで全国1,500社のディーラーに運び、高圧ガスボンベに小分けして各事業所に配送するというのが確立されたサプライチェーンです。しかし現在、高齢化による運び手不足や非効率的な物流が問題となり、業界がシュリンクしつつあるという現状があります。「産業ガス業界は100年間イノベーションが起きていないと言われるほど旧態依然とした業界です。その主な理由が、ガスボンベの価格が非常に安いことにあります。しかし、それ以外にメリットはありません。重たくてかさばるガスボンベを運搬するのは大変ですし、残量を確認するにはメーターを目視しなければならない。PCPを応用すれば、そんな非効率な産業ガス業界を根本から変えられる可能性がある。そう考えて研究開発を進め、完成したのが『CubiTan(R)(キュビタン)』です」(浅利氏)
キュビタンは「Cubic Tank」の略。その名前からもわかるように、ガスボンベの概念を大きく覆すキューブ型のガス容器です。28cm四方の立方体で、重さは10kgと非常にコンパクトですが、高さ150cm直径25cm重さ50kgの従来のガスボンベと同量のガスを圧縮貯蔵できるのです。その秘密は容器内部に充填されたPCPです。これまで蓄積してきた1万5千種類の結晶構造データベースをもとに、1gあたりサッカーコート1面分以上という膨大な表面積を持ったPCPを開発。その孔の中にガスの分子が規則正しく並ぶように充填することにより、少ない体積でしかも低圧でガスを貯蔵できるようにしたのです。また、このような貯蔵方法をとることでアセチレンのような引火性の高いガスを安全に保管できるというメリットもあります。「コンパクトかつ軽量なうえ、持ちやすさを考慮してハンドルを付けているので運搬のしやすさは段違いです。また、キューブ状の構造なので積み重ねて運ぶことができますし、設置した時にスペースも取りません。ただ容器を開発しただけでなく、流通・保管の効率化を視野に入れた機能も付加しています。GPS・ガスメーター・温度・Wi-Fiなどの機能を備えたIoTモジュールを搭載しており、離れたところからでもガスの在庫管理や漏洩の管理ができるほか、配送ルートの最適化や省エネの可視化などが可能になります。将来的にはこれらの機能を生かして、ドローンやロボットによる物流の自動化に対応させたいと考えています」(浅利氏)
優れた性能を持つキュビタンですが、Atomisでは容器自体を販売して収益化するつもりはありません。実現を目指しているのは、新たなガスのサプライチェーンを構築し、情報管理などのサービスを提供することで月額使用料を得るビジネスモデル「GaaS(Gas as a Service)」です。「現在の日本のガスの市場規模は、酸素や窒素などを扱う産業ガスで5,000億円、プロパンガスなどを含むLPガスで3.5兆円、いわゆる都市ガスである天然ガスで5兆円となっています。そのうち、ガスボンベが使用されている割合は、産業ガスで400億円、LPガスで2.3兆円と大きなシェアを持っています。これに加えて、将来は水素ガスが約10兆円の市場規模に成長すると見込まれています。我々が視野に入れているのは、その水素ガスをメインとした新たなエネルギーインフラの構築なのです」(浅利氏)現在のエネルギーインフラは、「中央集権的グリッド」と呼ばれており、発電所で一括発電して送電するという手法を取っています。しかし、それには大規模な送電線網が不可欠で、莫大な維持費もかかります。現在、再生可能エネルギーの導入が進められていますが、そのためには送電線網を増設する必要があり、さらなるコストがかかります。つまり、再生可能エネルギーと送電線網がトレードオフになってしまうのです。それに対して、Atomisが構築しようとしているのが「分散独立型グリッド」です。「『分散独立型グリッド』は、それぞれの家庭で太陽光発電やバイオマス発電を行う、送電線網に頼らない新しいエネルギーインフラの形です。電力をメタンや水素といったエネルギーガスに変換してキュビタンに貯蔵することで、エネルギーのパケット化が可能になります。それらを再び電気に戻して使うこともできますし、メタンガスであればそのまま燃料として使うこともできます。各家庭で再生可能エネルギーによる発電を行い、余った電力をキュビタンでパケット化して、個人間でエネルギーをシェアする。それが我々の思い描く理想の未来社会です」(浅利氏)現在、水素社会の実現に向けて、水素ステーションの整備が進められていますが、キュビタンを使えばその必要もなくなると浅利氏は言います。「キュビタンはモビリティーにも応用できると考えています。水素を詰めたキュビタンを載せ替えれば水素ステーションまで行かなくても、水素自動車のエネルギーを補給することができますし、容器をシェアすることで車体価格を下げることも可能です。このようにキュビタンはこれからの脱炭素社会に向けて大きなポテンシャルを秘めているのです」(浅利氏)
大きな期待が寄せられるキュビタンですが、実用化に向けていくつかのハードルをクリアしなくてはなりません。最初の課題は高圧ガス保安法の認可を取得することです。現在の法律では、ガスを貯蔵する容器内にPCPのようなガス吸着剤を入れることが認められていないのです。「そのため、まずはPCPを入れない容器のみのベータ版キュビタンで実証実験を行い、その後ガス吸着剤を含んだメタンガスキュビタンの認可を申請し、2023年には発売開始する計画です。2029年には、水素ガスキュビタンの認可を取得するスケジュールで開発を進めています」(浅利氏)PCPの魅力をアピールするだけでは企業は興味を持ってくれないと浅利氏は言います。キュビタンのような製品とビジネスモデルを開発し、何が可能になり、どれだけのマーケットを開拓できるか提示することで初めて、企業を巻き込み、社会実装を推進していくことが可能になるのです。恩師の研究成果で世の中を変えようとする門下生たちの試みは、着実に実を結ぼうとしています。参考情報・CubiTanは、株式会社Atomisの登録商標です。文/高須賀哲写真/嶺竜一
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