東京オリンピック(五輪)のゴルフ男子は1日、最終ラウンドが始まり、日本代表の松山英樹もスタートした。松山は首位と1打差の単独2位から金メダルに挑む。
2016年リオデジャネイロ五輪で、112年ぶりに正式競技として復活したゴルフ。当時、大会の1年以上前から、日本のゴルフ団体やメディアは、松山が当然出場するものと考えていた。
そんなさなか、普段は言葉を選びながらメディアにコメントする松山が、珍しく本音を口にした。
「オリンピックがすごい大会であることはわかります。でも、プロゴルファーにとってオリンピックって、どうなんでしょうか。よくわからないんです」
記者たちに問いかけるようにつぶやいたのだ。
「メジャー大会で優勝する」という夢を追いかけてプロになった松山にとって、ある意味、当然の疑問だったと思う。
結局、松山はブラジル国内で流行していた「ジカウイルス感染症(ジカ熱)」を理由に日本代表を辞退。代わりに東北福祉大の先輩でもある池田勇太が出場した。
五輪におけるゴルフをどう位置づけたらいいのか。選手だけでなく、ゴルフに携わる人たちの多くも明確な答えを持ち合わせていない。
ゴルフはプロスポーツとして成熟している。世界最強のゴルファーを決める晴れ舞台は、マスターズ、全米オープン、全英オープン、全米プロ選手権という四つのメジャー大会だ。世界中に中継され、優勝者はステータスと巨額の賞金を手にする。
五輪はどうか。出場人数はメジャー大会の半分程度の60人。出場国が偏らないように最強の米国でも4人しか出られないルールで、出場60人の中にはメジャー大会ではなじみのない選手もいる。おのずと、全体の競技レベルはメジャー大会より低くなる。五輪競技としての存在意義がどこにあるのか、疑問に思うゴルフ関係者がいて不思議はない。
今回、その松山が五輪に出場したのは、自国開催である点に尽きると思う。大きなモチベーションになっているのが、会場の霞ケ関カンツリー倶楽部(埼玉県川越市)の存在と言っていいだろう。
国内屈指の名門コースで、毎夏、プロへの登竜門「日本ジュニア選手権」が開催される。日本のジュニアにとっては「聖地」。丸山茂樹、宮里藍、横峯さくら、石川遼ら名だたる選手たちがこの大会から巣立っていった。
松山自身も高知・明徳義塾高3年で出場した09年の日本ジュニアで優勝。翌年に同コースで行われたアジアアマ選手権では、日本勢として初優勝を果たし、日本のアマ初のマスターズ出場権を獲得している。
開催コースが未定だった時期も「できれば、霞でやって欲しい。その思いは人一倍強い」と話していた。
最終日に松山と同組で回るのは、単独首位のザンダー・シャウフェレ(米)だ。松山が制した4月のマスターズで、最後まで優勝を争った。松山は思い出のコースで、因縁の相手と金メダルをかけてプレーする。(畑中謙一郎)