本格実用化に向けた取り組みが世界各地で進展する自動運転技術。21世紀前半をけん引する新産業として2010年以降開発競争が激化しているが、その開発の歴史は思いのほか古い。
この記事では、自動運転開発黎明期から現代につながる開発の変遷とともに、その歴史を紐解いていく。
なお、自動運転の歴史に詳しい工学博士の津川定之氏の論文を随所で参照した。津川氏は1970年代、工業技術院機械技術研究所(現産業技術総合研究所)所属時に国内初とされる自動運転システムの開発に携わった業界の第一人者と言える人物だ。
▼自動運転システムの60年|津川定之 https://www.jstage.jst.go.jp/article/sicejl/54/11/54_797/_pdf/-char/ja ▼自動運転今昔物語|津川定之 https://www.jsae.or.jp/~dat1/mr/motor15/mr200235.pdf
記事の目次
自動運転にいち早く注目した自動車メーカーは、米GMのようだ。1939~40年に開催されたニューヨーク万国博覧会で自社パビリオン「Highways and Horizons」を設置し、この中で、20年後、1960年の未来像を具現化した巨大ジオラマ「Futurama(フューチュラマ)」を展示した。「Future」と「Panorama」を合わせた造語だ。
ジオラマは円形で、高層ビル街や住宅街などの各エリアを高速道路網がつなぐイメージで形成されており、観客はその周囲を回る動く椅子に座りながら解説を受けるアトラクションとなっていた。
この展示における高速道路が自動運転を可能とする「オートメイテッド・ハイウェイ」となっていた。走行する自動車を電波で誘導し、目的地にいざなうといった内容のようだ。詳細な仕組みは不明だが、現在のITS(高度道路交通システム)のような仕組みを当時構想していたものと思われる。
具体的な研究開発には至らなかったようだが、GMは1964~65年に開催された同博覧会でも内容を一新した「Futurama2」を製作・展示し、人気を博したようだ。
自動運転開発が具体化していくのは、1950年代後半に入ってからのようだ。交通事故や渋滞といった交通課題が顕在化し、米ラジオ会社RCAの提案のもとGMが共同開発に乗り出した。
GMは1958年、同社テックセンターで自動運転車の初デモンストレーションを実施し、未来の高速道路に向けたビルトイン誘導システムの可能性を紹介した。高速道路に誘導ケーブルを敷設して電流を流し、車両前部に装着した誘導コイルで磁界を検出して制御を行う手法で、現在の磁気マーカーシステムの原型のようなイメージだ。
ケーブル敷設のコストが膨大となるため広く普及することはなかったが、バス停における正着制御や閉鎖空間における制御技術として一部で導入された。
このころには、大学などにおける研究開発も進み始めたようだ。米スタンフォード大学では1960年ごろ、月面探査向けの遠隔制御技術の研究につながる「スタンフォードカート」の開発が始まる。NASAのプロジェクトに携わっていた大学院生がビデオ情報を使用して遠隔車両を制御する技術の研究を行っており、地球上から車両に搭載されたカメラとラジコンリンクを使用し、月面上を運転する計画だったようだ。
開発当初は、バッテリー式の簡易な4輪車にカメラを搭載し、長いケーブルでテレビディスプレイとステアリングや速度を制御するコントロールコンソールに直接接続していた。磁気テープループによって通信遅延の影響をシミュレートし、通信遅延と速度のさまざまな組み合わせで障害物を回避しながら車両を制御する可能性について研究を進めたようだ。
その後、ジョン・F・ケネディ大統領が月に宇宙飛行士を送る有人ミッションを発表したことで無人化に寄与する同研究は一時下火になったようだが、低電力テレビ送信機と無線制御リンクを構築して視覚ガイダンスプロジェクトを実施するなど、開発は継続された。
1960年代後半に米連邦通信委員会から実験的なTVライセンスを取得し、テレビ画像に基づいてコンピュータを介してカートを制御する技術開発が進められた。時速1.3キロで高コントラストの白線に自動的に追従させる段階まで達したようだ。
この開発は以後も続き、後のDARPAアーバンチャレンジへの参加にもつながっていったとされている。
スタンフォード大学では、スタンフォードカートと並行して人工知能を活用したロボット「Shakey」の研究開発も1960年代に始まっている。
ロボットは、車輪付きのベースにカメラやカメラ制御ユニット、赤外線三角測量距離計、双方向無線通信用のアンテナ、オンボードコンピューターを含む電子機器を搭載し、テレプリントされた指示を介して走行する仕組みだ。
車輪の回転数を数えることで自己位置を追跡したほか、カメラと距離計を使用してランドマークやオブジェクトをスキャンしたという。
津川氏の論文によると、日本でも1960年ごろ、米国の影響を受け通産省工業技術院機械試験所(機械技術研究所を経て現産業技術総合研究所)が研究を開始したという。米国同様、走行ルートに誘導ケーブルを敷く手法が中心だったようだ。
1970年代には、日本でも自動運転分野における研究開発が花を咲かせた。自動運転システムの研究を進める機械技術研究所が、世界初のマシンビジョンを活用した自動運転システム「Intelligent Vehicle(知能自動車)」を1977年に開発した。
車両前端にステレオカメラを上下に配置し、その視差に基づいて2次元の視野において障害物の検出や距離を測定する手法で、画像処理はカメラからのビデオ信号をハードワイヤドロジックで行ったという。当時は8ビットのマイクロプロセッサ出始めたころで車上におけるコンピュータ処理は事実上難しく、ビデオ信号を二値化してICによる論理回路で直接処理したという。
米国では、偵察などの軍事目的で「ALV(Autonomous Land Vehicle)」の開発が進められたようだ。画像処理とレンジファインダで周囲の環境を認識し、AIによって判断やプランニングを行うことで自動運転を実現する仕組みだ。
この研究はその後、カーネギーメロン大学や米国立標準技術研究所などに引き継がれ、乗用車や火星探索車などの研究に応用されていったという。
機械技術研究所による研究は、1970年代の開発初期においてはビジョンシステムで検出したガードレールに沿ってラテラル制御を行うものだったが、1980年代に入ると、差動オドメタに基づくデッドレコニング機能を車両に搭載し、慣性航法に類似した方式でラテラル制御を行ったとしている。その結果、1984年には障害物の検出や回避を行いながら目的地まで時速10キロで自動走行することが可能になったという。
操舵制御アルゴリズムは、デッドレコニングと走路データベースに基づいて開発した。当時の車内には、コンピュータ本体のほかCRTや磁気カートリッジテープ装置、走行軌跡を記録するXYプロッタなどが搭載されていたという。
1980年代後半に入ると、交通課題解決に向けた国家プロジェクトの中で自動運転への注目度が高まっていったようだ。欧州(EU)では、ダイムラーの提案のもと車両を知能化していくITSプロジェクト「PROMETHEUS」が1986年に始まったという。PSAやルノーなどのも参加し、マシンビジョンやレーダーなどで走行レーンや障害物を検出するシステム開発が進められた。
ダイムラーが開発した「VITA2」には、車両の周囲360度を検出するため18台のカメラが搭載され、時速100キロ超でレーン追従や車線変更などを行うことができたという。
日本では、機械システム振興協会のプロジェクトとして日産と富士通が「PVS」という自動運転の実験システムを開発した。レーンマーキング検出用のカメラや障害物検出用のカメラ、ガードレール検出用の超音波センサーなどとともに、ビデオレートで処理する専用の画像処理装置を搭載し、ベテランドライバーの経験に基づいた知識ベースで制御を行ったという。
1990年代初期には、1986年に立ち上がった米カリフォルニア州のIVHSプロジェクト「PATH」において、プラトゥーニングと呼ばれる自動追従技術などの開発が進められた。磁気マーカーを活用し、狭い車間距離で高密度の車群走行を可能とするシステム開発を目指していたようだ。
米カーネギーメロン大学のロボティクス研究所は1995年、ミニバンを改造した「NavLab 5」と呼ばれる自動運転車両でワシントンD.C.からサンディエゴに至る約4,800キロの行程のうち98%以上を自動運転で走破した。ブレーキなどの縦方向の制御は手動だったものの、横制御において自動運転を実現したという。
なお、この研究には当時同研究所に在籍していた金出武雄氏(現京都大学高等研究院招聘特別教授)が携わっている。同氏は、画像認識技術の第一人者として知られる世界的権威だ。
日本では、当時の建設省主導のもと開通を目前に控えた上信越高速道路で磁気マーカーシステムを活用した路車協調型自動運転システムのデモが行われた。
機械技術研究所と自動車走行電子技術協会(現日本自動車研究所)は2000年、車車間通信で5台の自動運転車を隊列走行する協調走行システムの実験及び走行デモを行った。
米国防高等研究計画局(DARPA)は2004年、自動運転技術を駆使して長距離コース走破を目指す「DARPA Grand Challenge(DARPAグランドチャレンジ)」を実施した。世界初の長距離無人自動運転レースで、15チームが参加した。
10時間以内に砂漠地帯142マイル(約230キロ)を走破した車両が受賞対象とされたが、完走車はなく、11キロ余りを走行したカーネギーメロン大学のチーム「Red Team」が最高成績となったようだ。
なお、参加したマサチューセッツ工科大学のチームには、後にCruise Automationを創業するカイル・ヴォグト氏が在籍していた。
翌2005年開催の「2005グランドチャレンジ」では、決勝に進出した23チーム中5チームが完走した。1位はスタンフォード大学の「Stanford Racing Team」、2位、3位はカーネギーメロン大学の「Red Team」が占めた。
なお、Stanford Racing Teamのリーダーは、後にGoogle XやUdacityを創設するセバスチャン・スラン氏が務めていた。
3度目の開催となった「2007アーバンチャレンジ」は閉鎖された空軍基地に会場を移し、市街地を想定した約100キロのコースを6時間以内に完走する新たな取り組みとなった。
競技の結果、1位はカーネギーメロン大学の「TARTAN RACING」、2位はスタンフォード大学の「Stanford Racing Team」となった。
TARTAN RACINGでは、後にAurora Innovationを創業するクリス・アームソン氏がテクノロジーディレクターを務めたほか、Nuro創業者のデイブ・ファーガソン氏、Argo AI創業者のブライアン・サレスキー氏らが名を連ねている。
DARPAの取り組みを受け、いち早く動き出したのが米グーグルだ。2007年にセバスチアン・スラン氏を迎えて自動運転開発に向けた準備を進め、クリス・アームソン氏ら有数のエンジニアを採用し2009年に「Self Driving Car Project」をスタートした。
今日につながる自動運転技術の本格的な社会実装を見越した民間の取り組みは、このグーグルの活動に端を発するところが大きい。ロビー活動で自動運転車の公道走行を可能にし、多くの人が目にする形で自動運転車の可能性を世の中に示した。
クリス・アームソン氏ら数々のエンジニアを輩出している点も注目すべきポイントで、多くのスタートアップを交えた今日の自動運転開発競争は、DARPA参加エンジニアとグーグルの取り組みによるところが非常に大きいのだ。
2010年代に入ると、自動運転技術を開発するスタートアップが続々と立ち上がった。国内では、2014年に先進モビリティ、2015年にティアフォーが設立されたほか、海外では、2013年にCruise Automation、2016年にNuroやArgo AI、Embark Trucks、2017年にAurora InnovationやMay Mobilityなどがそれぞれ創業され、開発競争をけん引している。
こうした背景には、先行するグーグルの影響とともに、ディープラーニングなどAI(人工知能)技術の進化を挙げることができそうだ。
「自動運転レベル」の概念がいつ誕生したかは正確には曖昧だが、現在広く認知されているSAE(米自動車技術会)による6段階の定義は、2016年に策定された。
それまでは、NHTSA(米運輸省道路交通安全局)が2013年に発表した定義やSAEが2014年に策定した定義などが混在していたが、SAEが2016年に現行基準に改定した際、NHTSAも定義一本化に向けSAEの定義を用いることとした。
このSAEの新基準が世界各国で最も採用されるスタンダードな概念として浸透し、現在に至っている。
▼SAE International Releases Updated Visual Chart for Its “Levels of Driving Automation” Standard for Self-Driving Vehicles https://www.sae.org/news/press-room/2018/12/sae-international-releases-updated-visual-chart-for-its-%E2%80%9Clevels-of-driving-automation%E2%80%9D-standard-for-self-driving-vehicles
【参考】自動運転レベルについては「自動運転レベルとは?定義や呼称、市販車の車種は?できることは?」も参照。
自動運転バスを活用した公共交通サービスが2016年、スイスで開始された。諸説ありそうだが、公共交通における自動運転バスの継続的なサービスとしては世界初とみられる。
車両は、仏NAVYAの自動運転シャトルバス「ARMA」を使用し、許可された車両のみ通行可能な道路を利用した長期実証としてスタートした。乗客から料金を徴収する営業運行の形で走行しているようだ。
ドイツ政府は2017年、先進国の中でいち早くレベル3の公道走行を可能にする道路交通法改正を行った。ただ、当時は国際基準がまとまっておらず、事実上レベル3の社会実装は見送られている状況だ。
独Audiは同年、レベル3走行を可能にする「Audi AIトラフィックジャムパイロット」と同システムを搭載可能な新型「A8」を発表・発売したが、こうした状況を踏まえて同システムの搭載を見送っている。
なお、日本では2019年に改正道路交通法と改正道路運送車両法が成立し、翌2020年4月に施行されている。2020年6月に国連WP29で成立した国際基準を基にしており、事実上レベル3を解禁する中身となっている。
中国では、IT大手百度(Baidu)がオープンソフトウェアプラットフォームを活用した自動運転開発プロジェクト「Project Apollo(阿波羅)=アポロ計画」を2017年4月に発表した。世界各国の開発企業100社以上が参画する世界最大級の事業体となり、中国内の自動運転開発を先導している。
これまでに金龍客車による自動運転バスやNeolixによる自動配送ロボット、第一汽車や北京汽車グループの自動運転タクシーなどが量産化段階を迎えており、今後の展開に注目が集まる。
【参考】百度の取り組みについては「百度(Baidu)自動運転開発の年表!アポロ計画推進、中国で業界をリード」も参照。
グーグルの自動運転開発部門から分社化したWaymoは2018年12月、世界初となる自動運転タクシーの商用サービスを米アリゾナ州で開始した。
当初は一部ユーザーを対象にセーフティドライバー同乗のもとサービスを提供していたが対象を徐々に拡大し、2019年12月ごろにはセーフティドライバーなしの無人サービスの導入をスタートするなど、年々進化を遂げているようだ。
【参考】Waymoの取り組みについては「Waymoの年表!自動運転タクシーのフロンティア、Googleから分社」も参照。
2020年に入ると、自動運転関連スタートアップなどの新規上場が相次ぎ始めた。Velodyne Lidar、Luminar Technologies、Innoviz Technologies、AEyeといったLiDAR開発企業が上場で先行していたが、2021年に入るとTuSimpleやAurora Innovationといった自動運転システム開発企業の上場も始まった。
今後もArgo AIら有力スタートアップの上場が続く見込みで、今後の動向に注目が集まる。また、上場手法としてSPAC(特定買収目的会社)を選択する企業が多く、ソフトバンクグループのように受け皿となる買収用企業を用意する動きが出ている点にも注目したい。
ホンダは2021年3月、レベル3機能を搭載した世界初の量産車として新型「レジェンド」を発売した。リースによる限定100台の販売となったが、新たな歴史を切り開いた格好だ。
レベル3を可能にする「トラフィックジャムパイロット」は、高速道路などにおける渋滞時に自動運転を可能にする。実用域を考えるとまだまだ制限が多いが、こうした社会実装から得られた知見がシステムの高度化に寄与する。今後の進化に期待大だ。
【参考】ホンダの取り組みについては「ホンダの自動運転戦略まとめ世界初のレベル3量産車を発売」も参照。
ドイツ連邦議会は2021年5月、レベル4を可能とする道路交通法改正法案を可決した。自動運転車が備えるべき技術要件や走行許可に関する規定、走行に携わる者の義務などがそれぞれ明示されている。2022年中に施行されるものと思われる。
詳細は省くが、レベル3時の改正とは異なり、レベル4実装を可能とする内容となっている。現在自動運転タクシーなどのレベル4サービスで先行する米国や中国は、それぞれの州や市の許可のもとサービスを提供しており、国家としてはまだ法整備が進んでいない状況だ。
今後、レベル4サービスの実証やサービス展開を見込む世界各国の開発企業がドイツに集結する可能性もあり、引き続き動向を注視したい。
【参考】ドイツの自動運転法については「ドイツの「自動運転法」を徹底解説データは13項目保存を義務化」も参照。
この記事で紹介した流れを表にすると以下の通りとなる。
年/年代 | 概要 |
1939~40年 | 世界博覧会でGMが近未来の自動運転構想を披露 |
1958年 | GMが誘導ケーブル式の自動運転技術を披露 |
1960年ごろ | スタンフォード大学が遠隔制御技術の研究に着手 |
1960年代 | 人工知能搭載ロボットの開発も |
1960年ごろ | 日本でも自動運転の研究がスタート |
1977年 | 機械技術研究所が世界初のマシンビジョン自動運転車を開発 |
1980年代前半 | 米国でAI自動運転車の開発進展 |
1984年 | 機械技術研究所の研究がさらに進展 |
1980年代後半 | 交通課題解決に向け自動運転の注目度高まる |
1990年代初期 | カリフォルニアで高密度車群走行システム開発 |
1995年 | カーネギーメロン大学が自動運転車で大陸横断 |
1996年 | 上信越高速道路で自動運転デモ |
2000年 | 自動運転車5台の隊列走行デモ実施 |
2004年 | DARPAグランドチャレンジ開催 |
2009年 | グーグルの自動運転開発プロジェクト始動 |
2010年代 | 国内外で自動運転スタートアップが続々設立 |
2016年 | SAE自動運転レベルが世界スタンダードに |
2016年 | スイスで自動運転シャトルバスの本格実証スタート |
2017年 | ドイツでレベル3可能にする道路交通法が改正 |
2017年 | 「プロジェクトアポロ」始動 |
2018年 | 世界初の自動運転タクシーの商用サービススタート |
2020年 | スタートアップやベンチャーの上場ラッシュ |
2021年3月 | レベル3を実装したホンダ「レジェンド」発売 |
2021年5月 | ドイツでレベル4可能にする道路交通法改正案が成立 |
自動運転手法は大きく変遷しているものの、現代につながるコンピュータビジョンを活用した研究開発は早くから進められており、日本の研究者も国内外で活躍していたことが分かった。
また、スタンフォード大学やカーネギーメロン大学など自動運転開発に高い実績を持つ機関も早くから研究開発を積み重ねており、巣立ったエンジニアらがDARPA(米国防高等研究計画局)やグーグルの取り組みをきっかけに今日の自動運転開発競争をけん引している点も非常に興味深い。
GMによる自動運転構想から80年、コンピュータビジョンを活用したシステム開発からも40年余りが経過した現在、未来を描いた構想や将来技術は現実のものとなり、実用化域に達した。2020年代に入り、法整備も進み始めている。
特に、AI技術の進展により2010年代以降の開発速度はすさまじく、日進月歩で進化し続けている。日々歴史を塗り替えるような開発が進む自動運転業界の取り組みに引き続き注目だ。
【参考】関連記事としては「自動運転が可能な車種一覧(2021年最新版)」も参照。