北山製麺の奥さまラーメン
令和に生き残る富山の昭和レトロ食品を紹介する連載「地元愛されメシ」。第1回は、わが家の食卓でおなじみの「奥さまラーメン」です。「昭和30年代に国内で年間数億食売れていました」「インスタントラーメンにおされて消えてゆきました」など、袋には気になる文言が。奥さまラーメンって何なんー。製造元の北山製麺(富山市八尾町福島)を訪ねました。■創業105年目 北山製麺は、おわら風の盆で有名な八尾町で1917(大正6)年創業した老舗。3代目の北山正克社長(77)に奥さまラーメンの由来を聞くと、「袋屋さんが名付けたから分からないなぁ」と返ってきた。袋屋さんが名付け親ってどういうこと? 「麺とかパンって袋に入って売っとるでしょう。昔はね、袋がなかったの。麺は裸で売っていて、お客さんが新聞紙とかに包んで持ち帰っていたんですよ」 北山社長によると、昭和30年代にポリ袋が登場。ポリ袋の製造業者が袋を普及しようと、全国の製麺会社に呼び掛け、袋入りの奥さまラーメンを発売したという。包装資材の進化と関係があるとは驚いた。
昭和21年に現在地へ移転した頃の北山製麺
■年間数億食売れた 奥さまラーメンは全国で選ばれた約100社が製造販売し、当初、年間数億食売れたという。ちなみに、富山県内で奥さまラーメンを作っていたのは北山製麺だけだった。 パッケージは、奥さまがどんぶりを持っているイラストだった。スープはキャラメル型の固形で、銀紙に包まれていた。見てみたいが、写真は残っていなかった。名前の由来は「調理の手間が減っておいしいなんて、奥さまもニッコリ!」といった具合だったのだろうか。 北山製麺が奥さまラーメンを販売したのは1960(昭和35)年から65(昭和40)年までのわずか5年ほどだった。人気の割には短い命…。 北山社長は「奥さまラーメンのネックはね、日持ちしないこと。夏場なんて3日くらいですよ。出荷しても2日たったら返品ですからね~」と渋い顔。昭和30年代は店にも家庭にも冷蔵庫が普及しておらず、生麺は文字通り短い命だった。■即席麺に負けた 「そうこうしているうちにインスタントラーメンが普及してきまして。同時にスーパーマーケットチェーンの出店が増えて、大量生産大量消費の時代になっちゃった」