1979年「コント赤信号」を結成、コント活動をはじめた小宮孝泰さん。
1979年、明治大学の同期だった渡辺正行さん、テアトル・エコーの研修生として知り合ったラサール石井さんとともに3人で「コント赤信号」を結成し、コント活動をはじめた小宮孝泰さん。ストリップ劇場(道頓堀劇場)で修業し、『笑ってる場合ですよ!』(フジテレビ系)、『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)など多くのバラエティ番組に出演。MCハマーのパロディーである「MCコミヤ」としても人気を博す。1990年代以降は、俳優としての活動がめざましく、ドラマ、映画、落語、独り舞台、舞台プロデュース、英語劇などに精力的に取り組み、幅広い分野で活躍。主演映画『桃源郷的娘』(太田慶監督)が、1月21日に公開されたばかりの小宮孝泰さんにインタビュー。
小さい頃は引っ込み思案でおとなしい子どもだったという小宮さん。
マルチな才能を発揮している小宮さんだが、小さい頃は引っ込み思案でおとなしい子どもだったという。「僕は小学校1年生のときから眼鏡をかけているので、メガネをかけていない写真は幼稚園くらいまでしかないんだけど、その頃の写真は必ずうつむいているの。それくらい引っ込み思案で目立たなかったしね。それが小学校4年生のときに『毎日のドリル』というのを毎日やっていたらメキメキと成績が良くなって、それまで目立たない人だったのに、学級委員長をやるような人になっちゃって(笑)。ちょうど『シャボン玉ホリデー』(日本テレビ系)とか『コント55号』が出て来た頃で好きだったので、見ているうちに、マネしてみたいなと思うようになったんでしょうね。結局それで、高校で落研(落語研究会)を作ったの」-落語との出会いは?-「『シャボン玉ホリデー』で視聴者からコントを募集していて、中学生のときに書いてみようかなと思って本屋さんでコントの本を探したけどなかったんですよ。そのときに『落語家30人集』という本があったので、お笑いだからいいかなと思ってその本を買いました。当時ものすごい人気があって好きだった(五代目 月の家)圓鏡さんの『無精床』という落語がとてもおもしろくてね。中学3年生の秋頃、それを授業中に読んでいたら、先生に見つかって『落語ができるのか?』って聞かれたから、『できるかもしれませんね』って言ったら、『だったらやってみろ』と言われて授業中にやったらできたんですよ(笑)。それで、謝恩会とか卒業式でやったりしているうちに、落語にのめり込むようになって高校では落語研究会を作ることに。だから、『シャボン玉ホリデー』のおかげでコントを書こうと思って、落語の本を買って授業中に読んでいたら先生に見つかって、普通なら怒られるところだけど、『ちょっとやってみろ』と言われたのがきっかけみたいなところはありますね」