一度大災害の現場を見てしまったテレビマンは誰でも、「一生この現場を取材し続けよう」と誓う。しかし大部分は、次々に発生する別のニュースに飲まれて、その思いを忘れてしまう。
だが、そうした誓いを忘れずに、現場に通い続けるテレビマンもまた多い。
まもなく東日本大震災から11年。いまでも実直に自分の「誓い」を実行し続けているテレビマンを多数私は知っている。そうした実直なテレビマンたちに「今の思い」を聞いてみた。いま現在の「テレビ報道の現場の、311に対する思いと葛藤」とは何なのか。彼らの声を聞いてみてほしい。
ざっと総括すると、彼ら「実直なテレビマンたち」の生の声からは、「伝え続けたい現場のテレビマンたちと、それを望まぬ現場に行かない上層部の人たち」の葛藤が見えてくると私は思う。「震災から11年」という時間は、ちょうどそうした「局内におけるテレビマンたちの温度差」を生むような長さなのかもしれない。
東日本大震災の現場に行きたいが、新型コロナウイルスの影響で現場に行けない。そうした声は、多くのテレビマンたちから聞かれた。
本来なら「311特番」の準備や取材をしなければならない時期が、オミクロン株による第6波とちょうど重なってしまった。やむなく今年は取材規模が縮小されているようだ。しかし、そのことについてこんな指摘もある。
このカメラマンのように、「最近会社が東日本大震災関連の取材に冷たい」と感じているテレビマンは多いようだ。
現在、テレビ局の財政状況は非常に厳しい。各局とも、番組制作予算はできるだけゴールデンタイムなどのドラマやバラエティに投下したいのが本音だ。報道系の番組には予算削減の大きなプレッシャーがかかっている。私と同年代の民放報道局幹部から「現状ではニュース番組をなんとか維持するだけでもギリギリ。取材などにかけるお金は削減せざるを得ない」という声も聞いたことがある。
しかし「視聴率がとれない」という壁に阻まれて、やる気のあるテレビマンたちの取材が阻害されているのは、非常に残念だ。しかも、今回回答を寄せてくれたほぼ全てのテレビマンたちがその点を指摘しているのを、ぜひテレビ局の偉い人たちは受け止めて改善してほしいものだ。
視聴率の低下もあって、「東日本大震災を扱う放送枠がどんどん減っている」問題とある意味対をなすが、その根底はひょっとしたら同じでは無いかと思うのが「311前後になると一斉に各局が東日本大震災のことを放送し始める」という問題だ。
各局とも毎年3月11日が近づくと、東日本大震災の特番を大々的に放送するし、今年もそのようだ。しかし、最初の方で紹介した「今年は3月11日前後では伝えるのでしょうが、それ以外はほとんど東日本大震災を扱うことはないのが現実」という声のように、「311に大々的に放送することで、それ以外の季節にはまったく取り上げない」ということであるなら、それで良いのだろうか。「311特番のあり方」についてテレビマンたちから疑問の声が寄せられている。
「誰のための取材なのか」という問いは、実はかなりテレビの震災報道の本質を突いていると私は思う。私もかつて阪神淡路大震災の取材で現地に入った時、「この大地震がもし東京で起きていたら」という内容で特集を組もうとした番組デスクと喧嘩をしたことがある。「あまり神戸ローカルの話をされても、東京の視聴者には何もわからない。もっと普遍性のあることを中継で話すように」と東京の上司に言われた時には、心の底からその上司を軽蔑した。
被災地の人たち目線で、被災地の現状を放送するのか。それとも、被災地以外の人が「教訓を得るために」被災地のことを放送するのか。確かに、冷たい言い方をすれば被災地以外の人にとって被災地の現状はある意味「他人事」だ。そこをどういう目線で報道するのかを我々テレビ報道に関わる者は考え続けなければならない。被災地の放送局の若手記者が、こんなことを書いてくれた。
私はテレビは、大災害の前では実は無力だと思う。そして、テレビの震災報道のあるべき姿は、私には想像もつかない。
しかし、少なくともテレビマンたちがこれからも現場に行き続け、悩み続けることが、テレビの災害報道にとって一番大切なのではないか、と確信している。
【この記事は、個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】